カテゴリー「散歩」の3件の記事

2011年12月19日 (月)

世田谷ボロ市

先週の金曜日、週に3日ほどお手伝いしている組織の出勤日であったが、しばらく見ていない世田谷ボロ市に行ってみたくて休みをいただいた。まあ、差し迫った仕事も片付いたし、贅沢を許してもらおう。

三軒茶屋から世田谷線に乗り、4つ目の世田谷で降りる。ボロ市は毎年12月と翌年1月の、15日、16日に開催される。曜日で開催日を決めるイベントも多いが、ボロ市は曜日に関係なくこの日程で開催されている。20111216102745

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世田谷線に乗るのも久しぶりである。昔は東急玉川線、俗称玉電といっていた。渋谷から二子玉川まで246号線を走っていた。三軒茶屋で下高井戸に向かう支線と分岐していたが、この支線が世田谷線として残った。

さて、ボロ市である。開かれたのは1578年(天正6年)だという。今から433年である。この辺りは世田谷城主・吉良氏朝の城下町で、関東を支配していた小田原城主・北条氏政の命により、楽市として始まったようだ。
(詳細はここをクリックして、世田谷区のHPをご覧ください。)

世田谷駅で降りて、世田谷通りに出ると円光院(寺号・明王寺、真言宗)というお寺がある。20111216103945
その正面から続く道からボロ市が始まる。金曜日の午前10時であったが、既に多くの人が出ている。20111216103951
ボロ市はその名の通り、初めは古着の市として始まったようである。その名残か、衣類を扱う店も多くみられる。といっても、古着を扱う店は少ない。わけのわからない飾り物や、日用雑貨を扱う店が多数を占めている。20111216104820

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こんなものが売れるのだろうか、というような商品がほとんどである。また、なんに使う道具なのか不明なものも見受けられる。

寺の正面の道を100mほど進んだT字路を右に曲がると、ボロ市通りである。例年ならこのあたりも店が連なっていたが、今年はぽっかりと店が欠落していた。今年は出店が少ないのかもしれない。その一角で、坊さんが托鉢している。誰も喜捨する人はいない。20111216104835
数年前に訪ねたとき、このあたりに古道具を扱う店があった。今回は出展していない。織機などの機械の部品と思われる、木で作られた歯車やからくりの残骸を置いていた。期待していたのだが、残念ながら見ることができなかった。

何軒かの店で、古いのこごりや、鉋、のみを置いていた。20111216104043

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店によっては、ワゴンタイプの車で乗り付け、商品を出した後の荷台も店舗にしているところもある。20111216105224
前回、針金細工のゴム鉄砲を購入した店が、同じ場所に出店していた。20111216105410
その先には、家紋を3㎝角の木に彫りこんで、判として販売している店があった。当家は縁なし片喰であるが、縁なしの紋は見当たらなかった。ちなみに1個1000円である。20111216105957
この店の近くに、興味を惹く道具を置いている店があった。20111216105652
中央、やや右に見える茶色の角棒は、囲炉裏で使う自在鍵である。あまり古くはなさそうで、形も今一つである。また、奥の棚の上には、からくり時計風の商品が置かれていた。20111216105559
動くのかどうか聞かなかったが、外観からすると、かなり単純な作りのようである。右手の箱の手前にあるのは、薬用と思われる天秤である。

棚の下にはタイガー計算器も置いてあった。戦後に販売された第二世代の機械である。塗装はしっかりしているが、金属部分にかなり錆が出ている。中の状態はわからないが、この値付けは高すぎる。よっぼど相場を教えてあげようかとも思った。20111216105622
もう一軒、銅板を細工した置物を販売している店を見つけた。写真のものは、トンボのムーブメントである。頭の先を下に尖らせ、支柱の上にバランスよく乗せることができる。20111216110242
まだブログに掲載していないが、11月に沖縄を訪問したときに、竹で作った同じものを見つけている。どちらが元祖だろうか。

さて、以上がめぼしい店である。今年は残念ながら面白いものが少なかった。少々時間が早かったが、引き上げることにする。

帰り際に、昼飯用として代官餅を購入する。からみ(おろし餅)、きなこ、あん、しろ(餅だけ)の4種類があり、からみとあんをいただく。ボロ市の名物になっている餅である。前回も食べてみたかったが、行列がものすごくあきらめた。今回も行列ができていたが、幸い15分ほどで買うことができた。なかなかおいしい餅であった。20111216114033

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2011年8月16日 (火)

入谷の鬼子母神と上野公園 その2

科学博物館の前の広場の木陰で一休みする。ここでは今、特別展「恐竜博2011」を開催している。入り口には夏休みの日曜日ということもあり、子供連れの親子が長蛇の列をつくっていた。20110814111642

しばらく休んだ後、木陰を求めて国立博物館の前を通り過ぎる。ここでは特別展「空海と密教美術展」を開催している。近いうちに来てみようと思っているが、今日は人出も多くパスする。

動物園の旧正門の通りを進む。この道は、上野公園の中でも好きな道である。今の正門は昭和36年(1961年)に作られたというから、旧正門はそれまで使われていたのだろう。子供のころの記憶は、こちらの門である。

この道を抜けると、現在の正門に至る。それまでの静かな雰囲気が一変し、賑やかな様相となる。入園者も結構多いようだ。さらに先を進み、精養軒の前を過ぎると、上野東照宮である。徳川家康、吉宗 慶喜を祀っている。何度も前を通り過ぎているが、参詣したことはない。せっかくなのでお邪魔してみることにする。

大鳥居を潜ると、直ぐ先に瀟洒な門があり、石灯籠の参道が続く。奥には本殿が見えている。20110814113304

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本殿に近づくにつれ、なんとなくおかしい。どうやら工事中のようだ。さらに近づくと、本殿と思っていたものが、工事現場を覆う幕にかかれた絵(写真?)であることが判明する。しかし良く画けている。遠くから見ると、本物と見間違えてしまう。嫁さんと大笑いである。20110814113521

東照宮を後にして少し行くと、笹薮の中の石の上に、野良が2匹昼寝をしていた。丁度そのとき、自転車に乗ったおじさんが来て、猫に声をかけた。猫は身も軽く自転車によってきた。どうやらご法度の餌付けをしているようだ。このおじさんにはご法度の意識はないのだろう。20110814114020

さらに進む。今度は上野大仏である。これも見たことがない。石段を登った高台にあり、青銅製の大仏の顔だけが安置されている。この大仏は、1631年に造営されたという。その後火災に遭い、1841年に新鋳された。関東大震災では、仏頭が落ち、それが現在安置されているものである。仏体は、第二次世界大戦で消費されたという。そういえば、全国のお寺の梵鐘も、多くが供出させられた。こんな有様で勝てるなど、誰が考えてもありえない。きしくも明日(8月15日)は敗戦記念日である。20110814114229

上野公園には何度も来ているが、灯台下暗しではないが、知らないことが沢山ある。そろそろ昼時になり、不忍池に下りてみることにした。池のそばまで来ると、なにやら大きな花が開いている。蓮である。30cmほどもあろうかという見事な花である。それが池の一面に広がっている。こんな豪勢な蓮を見るのもはじめてであった。20110814115324

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蓮を鑑賞しながら弁天様にお参りし、御囲地町に出る途中の寿司屋で昼食とする。その後、飲み屋街のはずれにあるブティック風の店の前で、一服する。どうやら、夜の女性相手のブティックのようで、ショーウインドウに飾られた派手なイブニングドレスの値段は結構安かった。20110814124436

炎天下の短時間の散歩であったが、楽しい発見が盛り沢山のツアーであった。

2011年8月15日 (月)

入谷の鬼子母神と上野公園 その1

昨日、夏の日照りの中、入谷の鬼子母神から上野公園周辺を歩いてみた。上野駅から国道4号線を北上する。知らなかったが、下り側にも反対側にも、二輪車を扱う店が多い。どんな商品でもそうだが、ポツンと一軒で商うより、何件か集まって商う方が、競争は厳しくなるが客が集まるのだろう。

また、道沿いにはスーパーホテルがあり、折りしも3人連れの恰幅のいい(失礼、ふくよかですね)外国のお嬢さんが、観光に出かける様子で出てきた。後で調べてみると、最安値の部屋は朝食付きで3000円である。超円高の折、これは助かるに違いない。

入谷の交差点で言問通りに左折すると直ぐに鬼子母神の眞源寺である。江戸三大鬼子母神の一つであり、他に雑司ヶ谷の法明寺境外堂鬼子母神堂、市川の中山法華経寺(江戸期には本所本佛寺だったともいわれている)がある。20110814103824

雑司が谷にはサクラを見に出かけた(その時のブログ記事はこちらです。)が、それに比べ眞源寺は何ともこじんまりとしてお寺である。江戸時代の古地図を見ると、眞源寺は日光街道の東側に引っ込んだ位置にあり、今よりも広い境内があったと思われる。入谷の交差点の南西角に静連寺というお寺がある。古地図では浄連寺という名であり、眞源寺は路地を挟んで向かいにあった。名前が変わったのだろうか。、江戸時代のこの界隈は、街道を一筋入るとお寺さんばかりである。

さて、眞源寺である。7月の朝顔市でも有名だが、境内は狭く、周辺の歩道を使って開かれるようだ。一寸裏路地に入ると、確かに朝顔を軒下に植えている家を見かける。また、入谷の交差点には、朝顔のレリーフを彫ったモニュメントが立っている。

入り口の直ぐ右脇には福禄寿が祀られている。下谷七福神の一つになっているらしい。隣に百度石があるが、本堂まで10歩もかからない。このお寺でのお百度参りはとても楽だろう。20110814103745

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本堂はビルに挟まれ、何とも窮屈な姿だ。20110814103728

左手の裏に墓地があり、一寸だけ墓石を見させていただいたが、新しいものが多い。残念ながら、歴史を感じさせるものは見つけられなかった。

お参りを済ませ、下谷の路地を通って上野駅北側の跨線橋に向かう。この界隈の路地も、懐かしい雰囲気を醸し出している。跨線橋を渡ると、直ぐに上野公園に入る。右手は寛永寺、左は日本学士院である。ここで気になることを見つけてしまった。記事を書くために、NETで地図(Yahoo、Googleともにゼンリンの地図がベースになっている)を見ていたら、なんと日本学士院がお寺(地図記号)になっているのだ。どうやら、ゼンリンの調査員が間違えたらしい。寛永時の周辺はお寺が多く、また***院と呼称するお寺も多い。お寺関係を調査の後、学士院にきて、その表札からお寺と記入したに違いない。いつ修正されるか楽しみである。流石に国土地理院の地図は間違えていない。Gakushiin