尾道散策 その4
このロープウエイは昭和32年開業ということなので、45年前に訪れたときには既に運行していた。しかし、乗車した記憶がない。長い石畳の道と石段を歩いて登ったのだろう。
山頂には展望施設と売店があるのみで、一帯は公園になっている。しばらく山頂からの眺望を楽しみ、中腹にある千光寺に向かって下る。裏参道となっている道である。
山頂からすぐのところに、林芙美子の『放浪記』の一節が刻まれた石碑があった。
海が見えた、海が見える。
五年振りに見る尾道の海はなつかしい。
汽車が尾道の海へさしかかると、
煤けた小さい町の屋根が提灯のように、広がって来る。
赤い千光寺の塔が見える。
山は爽やかな若葉だ。
緑色の海、向こうにドックの赤い船が、
帆柱を空に突きさしている。
私は涙があふれていた。
程なく千光寺(真言宗)に到着する。大師堂の脇には大きな山の岩が迫り、苔が見事にうねっていた。
狭い境内には水琴窟が置かれ、女性が熱心に聞き入っていた。そんなに近づかなくても、十分に聞こえる。
時刻は12時。そろそろ昼飯時である。狭い境内を抜け、寺を後にし、真っ直ぐ海に向かって下る道を進む。
寺のすぐ下に、アララギ派の歌人、中村憲吉の終の棲家となった家がある。昭和8年12月から永眠した昭和9年5月5日まで棲んだという。、斎藤茂吉や土屋文明も見舞たらしい。
千光寺に夜もすがらなる時の鐘
耳にまぢかく寝(い)ねがてにける
病むわれに妻が屠蘇(とそ)酒をもて来れば
たまゆら嬉し新年にして
病む室の窓の枯木の桜さへ
枝つやづきて春はせまりぬ
山陽本線の陸橋を渡り、本通りに向かう。ここは海と山陽本線に挟まれたアーケードの商店街である。学生のときに、この商店街のどこかにあった古い旅館に泊った。尾道に着いたのは夕刻であり、宿に向かう途中、街娼に声を掛けられたのを覚えている。今ではそんな街は既にないが。
通り沿いのとある洋食屋に入りカキフライの昼食をとる。後から修学旅行の学生3人が来店する。二人が食べ終わると、一人を残してさっさと店を出て行った。どうやら駅前の集合時間が迫っていたらしい。しかし、なんとも友達甲斐のない子供達だ。
昔の木造の店舗が並んでいた風景はすっかり変わってしまったが、思い出に浸りながら散策する。途中、海側に出て、岸壁でしばらく港の風景を楽しむ。
予定していた帰りの電車の時刻も迫り、駅に向かう。本通り商店街の入口には、林芙美子の銅像が立っている。
駅の隣にある芝生の公園で、おじさんが自転車を組んでいた。持参した荷物の量がかなり多い。おそらくツーリングの人だろうと声を掛けてみた。案の定、尾道からしまなみ街道を渡り、今治までいくとう。そこから88番まで区切り打ち遍路をするとのこと。
野営での旅だというので大量の荷物になったようだ。同年輩の人だというのに、なんと達者なのだろう。秩父方面の人のようで、既に坂東33札所、秩父33札所などは打ったとのこと。電車の時間も間がなくなり、お気をつけてと挨拶して分かれる。
これで尾道ともお別れである。また来る機会はないかもしれない。そんな感慨と、最後にお会いした自転車遍路のおじさんを案じながら帰途についた。











































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