7月の小石川植物園から日本橋へ その3
次は日本橋である。日本橋まで歩いたわけではない。たまたま日本橋のある店で夕食をとることにしており、植物園はそのおまけであった。白山の駅まで戻り、三田線で大手町に出て、東西線で一駅である。
日本橋は自転車で何度も渡っている。しかし、しげしげと見物したことはない。灯台元暗しである。時間も少々あったので、橋の周辺をうろうろと散歩してみることにした。橋の袂では、遊覧船の案内をしていた。そういえば2ヶ月ほど前であったか、TVで日本橋川周辺を船で巡るツアーをはじめたというニュースが流れていた。時間はたっぷりあるのだが、残念ながら30分おきに出るどの船も満席であった。今日は日曜日である。当然か。
日本橋の全景を見るには、橋を離れなければならない。そこで一本上流側の橋に行ってみることにした。150m程先の西河岸橋である。江戸時代の古地図では該当する橋がない。大正14年建設というから、関東大震災後に作られた橋である。橋の南が西河岸町という名前であったことに由来するという。
(日本橋界隈の江戸古地図:http://onjweb.com/netbakumaz/edomap/Edo202a7.pdf)

橋の上から日本橋を眺望すると、その首都高速の高架脚が林立し、何とも情けない風景である。浮世絵に残る風景など、微塵も感じられない。昭和39年の東京オリンピック時代に今の姿になったようだが、都市計画とは何なのか考えさせられる。
さて、日本橋だが、ご存知のように日本の道路の基点になっている。室町側の橋の袂には日本国道路元標が据えられている。
橋の欄干は石つくりで、要所に鋳物の豪勢な飾りが据えられている。袂のものは獅子であり、東京都のシンボルマークを脚で踏みつけている。
中央にはガス灯のような大きな飾りがあった。なかなかレトロな感じがして見事である。しかし、上に覆いかぶさる首都高は、繰り返しになるが野暮である。
まっすぐに南下するのが15号で、1号線は右折している。もともとは今の15号線が1号線であったが、交通量の緩和のために大正から昭和の初期にバイパスが設けられ、こちらが1号線になってしまったようだ。これも野暮な話で、新しいほうを15号線にすればよかったのだ。因みに、今の1号線は永代通り、日比谷通り、内堀通り、桜田通りと渡り歩き、第二京浜となって横浜まで続く。


















































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